英国住みフリーランス。日本との時差8時間。地球は回っている。

ジョン万次郎が熱い10の理由!英語だけじゃない!

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1843年(天保13年)、日本の歴史上初めてアメリカに渡った
ジョン万次郎こと中浜万次郎ですが、
この人について知れば知るほど興味がわいてくるのを抑えられません。

そこで今回はジョン万次郎が熱い10の理由を、
その生涯をたどりながら管理人なりに分析してみました。

ジョン万ファンの皆様、どうぞごゆっくりお楽しみください。

熱風録1.ジョン万次郎は貧しい漁師だった!

ジョン万次郎は1827年1月1日、土佐の中浜(高知県土佐清水市中浜)の貧しい漁師の次男として生まれました。
貧しいため寺子屋にも行けず読み書きもできなかったそうです。

9歳で父親を亡くし、兄が体が弱かったことから、小さいころから一家を支え稼ぎに出ていました。

そんな万次郎ですが、日本に帰国後、幕府の通訳として働くために
旗本として取り立てられ(武士になる)
明治維新後は開成学校(現東京大学)の教授にまでなります。

漂流した仲間は彼を入れて5人
そして日本に戻ってきたのは3人(重助は病死、寅右衛門は現地で結婚し帰化)でしたが、
同じ漁師の境遇でも万次郎の活躍は特筆すべきもので、
たんに漁師が米国に行って英語を覚えたからこうなった、
という話だけでは済ませられない、
歴史が彼に与えた大切な役割のようなものを感じます。

熱風録2.無人島で143日間も生き延びた!

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1841年、万次郎は14歳の時、仲間とともに漁に出て遭難し、
鳥島という太平洋のど真ん中の無人島に漂着します。

水も火もなく、住んでいるのはアホウドリだけです。
万次郎たちはアホウドリが雛に与えるために運んでくる魚を横どりして、
雨水だけで5か月近くなんとか生き延びます

熱風録3.船長に気に入られた!

アホウドリのひなが育ち、もう魚も手に入らなくなって、
雨も降らず絶体絶命となるのですが、
天の助けともいえるアメリカの捕鯨船(ジョン・ホ―ランド号)
島のそばを通りかかります。

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万次郎たち5人は、こうしてホィットフィールド船長率いる
捕鯨船に助けられたのです。

鎖国中の日本には戻りたくても戻れない一行は、アメリカについていきます。

おそらく船長は万次郎の中の何かを感じ取ったのだと思いますが、
他の4人はハワイでおろし、
彼だけをアメリカ本土の自宅(マサチューセッツ州ヘアヘーブン)に連れていき
養子として迎え教育します。

熱風録4.ジョン万は勤勉で努力家!

ジョン万は勉強熱心で努力家だったそうです。
通っていた学校でも常に主席(日本語しかわからなかった彼にとってこれは大変なことだったと思います)、
英語・数学・測量・航海術・造船技術を学びます。

熱風録5.米ルーズベルト大統領に影響を与える!

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第32代合衆国大統領・フランクリン・デラノ・ルーズベルト
祖父・ワレン・デラノは、
万次郎を救助し援助したホイットフィールド船長の親友で、捕鯨船ジョン・ホーランド号の共同船主でした。
ルーズベルト少年は祖父から万次郎の話をよく聞いていたといいます。
ルーズベルトにとって万次郎は、サクセスストーリーを体現した、憧れの人であったようです。

万次郎の長男にはルーズベルトからその思い出をつづった手紙まで届けられています。

熱風録6.カリフォルニアでゴールドラッシュ!一攫千金!!

1850年日本への帰国への思いが募り、いよいよ帰国を決意しますが、
そのためには資金が必要です。

万次郎は当時ゴールドラッシュで沸き返るカリフォルニアに渡り
金鉱に入ります。
そしてなんと、わずか数か月の間に
金の採掘で600ドル!の資金を得ます。

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熱風録7.  ジョン万は友達思い!

ゴールドラッシュで資金を得たジョン万は、「アドベンチャー号」という小舟を買い、
上海行きの商船に乗せて、ハワイにいる土佐の漁師仲間を迎えに行きます

10年以上たってもやはり故郷の仲間を忘れることはなかったのですね。
ちょっと泣けます。

熱風録8.ジョン万の英語はすごい!聞いたまま発音

日本人の英語の発音がとかく取りざたされますが、
ジョン万の発音は非常に米語の発音に近かったといわれています。

アメリカに渡ったのが14歳の時とまだまだ若く、
英語耳ができやすかったこと、
まったくの先入観なしで入ってきた音をそのまま再現したものであったことが
発音の自然さの理由だと思われます。

ジョン万は、次のような発音表記を残しています。

Cold (コヲル 寒い)
Evening (イヴネン 宵)
Morning(モヲネン 朝)
Night (ナイ 夜)
New York (ニュヨオ ニューヨーク)
Winter (ウィンダ 冬)
Water (ワラ 水)
Sunday (サンレイ 日曜日)
Gate (ゲイ 門)





Morning, Evening のイング、
Gate, Night の ト
Cold , New York のドやクが

発音されていませんね。

彼の耳にはその音が聞こえなかったのだと思います。

Water , Winter はとてもアメリカ英語、
おそらくアイリッシュ系の移民の人々の発音を聞いて覚えたのでしょう。

私たちは英語を文字としても認識しているので
ローマ字読みしてしまい
かえってそれが邪魔をして、
実際聞こえる音とは違う発音をしてしまっているようです。

熱風録9.日本の幕末を駆け抜ける! 坂本龍馬・勝海舟・後藤象二郎

万次郎一行は、琉球、薩摩、長崎で順に取り調べを受け、
一年半後、漂流から11年後にやっと土佐の我が家に戻ります。

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その後の万次郎の活躍は目覚ましく、
この人がいなかったら日本の近代史は全く別のものになっていただろうとしか思えません。

11年のアメリカでの経験や知識は、

薩摩藩の島津斉彬
土佐藩の坂本龍馬、後藤象二郎、吉田東洋、河田小龍、岩崎弥太郎
勝海舟、福沢諭吉など

数え上げればきりがないほどの
綺羅星のような幕末の英雄たちに影響を与えました。

通訳としても日米修好通商条約の批准書交換のため、勝海舟とともに咸臨丸で渡米しています。

熱風録10.おごらず、品格高く、慈悲深く

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政治家になれと誘われても、教育者であることを選び、おごらず謙虚だったということです。

晩年は貧しい人に積極的に施しを与え、役人にとがめられてもやめなかったそうです。

慈悲や平等の思想(キリスト教的な)が、アメリカで青年期を送った万次郎に強く根付いていたのかもしれませんし、
もともとの万次郎の素晴らしい特質だったのかもしれません。

ジョン万次郎、日本初の国際人云々というよりは、
運命の大きな波に飲み込まれず、その時々を懸命に生き抜いた彼の姿勢に本当に心打たれます。

最後までお付き合いいただきありがとうございます。

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