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イスラエルとパレスチナ問題!イギリスとの関係は?

イスラエルとパレスチナの紛争が続いています。
いつ果てるともないこの戦い、
実はイギリスが責めを負わざるを得ない歴史的背景があったのです。

そこで今回は、
イスラエル・パレスチナ問題にイギリスがどうかかわっていたか、
できるだけわかりやすく解説してみました。

戦争が終わり、
子供たちが安心して暮らせるようになることを願いながら
一緒に見ていきましょう!

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歴史的背景を簡単にまとめると


古代のパレスチナ・イスラエル

紀元前13世紀ごろ、パレスチナ一帯には
ペリシテ人(パレスチナの言葉はペリシテから)が住んでいました。

ペリシテ人によるペリシテ文明は繁栄しますが、
やがてエジプトからやってきたヘブライ人(イスラエル人)
によって滅亡してしまいます。

紀元前10世紀ごろこの地を支配したのは
このイスラエル人です。
彼らはイスラエル王国をつくり
エルサレムを中心に繁栄します。

ところが、不運なことにこの土地は、
3つの大陸のハブとなる
軍事的にとても重要な場所だったのです。

常に他国からの侵略に脅かされ、
それに激しく対抗しながらも
やがてイスラエル王国は滅びてしまいます

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これまでローマ皇帝ハドリアヌスは、
ユダヤ民族(イスラエル王国)の激しい反乱に
さんざん手を焼いていました。

うんざりしきった皇帝ハドリアヌスは、
紀元135年ユダヤ人の反乱を制圧した機会に、
この地の名前を、

ユダヤ属州から
属州シリア・パレスチナ

に変えてしまいます。

この地がイスラエルのかつての敵の名前、
パレスチナ(ペリシテ)」と呼ばれるようになったのはこの時からです。

その後も、
シルクロードの西端、ヨーロッパの入り口にあるこの地に、
きな臭いにおいが消えることはありませんでした。

パレスチナの支配者たち

7世紀くらいまで東ローマ帝国、
次にはイスラム帝国、セルジューク・トルコ、シリアなど
パレスチナの支配者は次々に変わります。

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11世紀にはヨーロッパからキリスト教徒の
十字軍が攻め込み
いくつかの都市に「エルサレム王国」も生まれました。

けれども、
12世紀末にはアイユーブ朝のサラーフッディーンに奪還され、
パレスチナ地の大半はこの王朝の支配下に入ります。

その後16世紀になると、
マムルーク朝を滅ぼしたオスマン・トルコ帝国がそれにとってかわります。

シオニズム運動-ユダヤ民族の国家建設の夢

シオニズム運動とは、
旧約聖書でのカナンの地(パレスチナ)にもう一度戻り、
ユダヤ民族の国家を建設する事を目標とした運動です。

ユダヤの地名がパレスチナに変わった紀元135年以来、
ユダヤ人は2000年近く統一した民族集団を持ちませんでした。

現実には、
ヨーロッパを中心に世界各国へ移住して離散し、
各地に定着していきました。

当時ヨーロッパでは
ユダヤ人に対する迫害や差別が激しく、

パレスチナに戻りユダヤの国を作りたいという強い思いが、
やがてシオニズム運動を生みだします。

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ここで、彼らの国家建設の「」を、
現実のものとする役割を果たしたのが
イギリスでした。

第一次世界大戦時、イギリスの使った二枚舌

一枚目:アラブ人にした約束(1915年10月 フサイン=マクマホン協定)

第一次世界大戦時に連合国側だったイギリスは、
同盟国側のオスマントルコを側面から攻撃したいと思っていました。

そこで、オスマントルコの支配下にあったアラブ人に、

「オスマントルコに反乱してくれたら、パレスチナにアラブ王国を建設させてあげるよ!」

と持ち掛けました。

「よっしゃ!」とアラブ人はこれに応じました。

二枚目:イスラエル人にした約束(1917年バルフォア宣言)

当時、イギリスは膨大な戦費を必要としていました。

そこで、シオニズム運動が盛り上がるのと時を合わせ、
イギリスは外相を通じて
ユダヤの富豪ロスチャイルド家に手紙を出します。

「お金を貸してくれたら、イギリス政府はパレスチナでのユダヤ人国家の設立を支持するよ!」

というものでした。

ロスチャイルド家からも「オッケー!」をもらい
資金援助を得ることに成功しました。

両者の助けを得て大戦を勝利したイギリスですが、
1つ大変困ったことが持ち上がりました。

それからどうなった?

つまりイギリスは、
アラブ、イスラエル両者に
1つしかないパレスチナの地を約束してしまったのです。

ユダヤ人は、

「やった勝ったぜ、2000年ぶりにパレスチナに帰ろう!

TRAVEL

ってなりますし、

アラブ人は、

「やっと独立したアラブの国に、なんでユダヤ人が大移住してくるんだ?」

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ってなりますよね。

これが現在の
パレスチナ・イスラエル問題の出発点となったのはいうまでもありません。

問題を解決できなくなったイギリスはこれを国連にゆだねます。

【国連の出した判断】

パレスチナ領土を、

アラブ人43%、ユダヤ人57%で分割

アラブ人は「わてらの方が断然人口多いのになんでやー!

てことで…

第一次中東戦争(1948年)⇒ ユダヤ人の勝ち ⇒ 領土は増えて80%

!Σ( ̄□ ̄;)

負けたアラブ人は難民となり、ガザ地区に住むようになります。(パレスチナ難民

現在パレスチナはイスラエル人の国となっています。

最後に

えー、2000年を素早く駆け抜けてきましたが、

いかがでしたでしょうか。

もう、みんななかよくしろ!!
ってホント言いたいです。

国連の避難施設となっているガザの小学校へも空爆が行われています。
子供たちがどんどんなくなっていきます。
どうしてくれますか??

とにかくまず停戦です!!

がざ

(BBCウェブサイトより引用)

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