英国住みフリーランス。日本との時差8時間。地球は回っている。

恵方巻き!いつから始まった?調べてびっくりその由来!

恵方巻き(えほうまき)って、いつから始まったの?

!!!!Σ( ̄□ ̄;)

日本を離れて17年たちますが、
その間の帰国回数わずか3回。
この浦島太郎状態の私だからこそ、
はっきり言いきれること、
それは・・・



17年前までの日本には、
全国的な規模の恵方巻きの行事はありませんでした。


少なくとも私の地元愛知県では
「恵方巻き」を食べるという習慣はありませんでした。



いつのまにこんな美味しそうな行事が発明されたんだろう?
誰がはじめたの?
でもなんで切らずに食べるの?

などなど…
素朴な疑問がむくむくと湧き上がってきます。



今回は、
私にとっては謎がいっぱいの、
恵方巻きの行事はいつから始まったのか?
その由来を納得がいくまで調べてみることにしました!


むむむ。。。!な事実が判明しましたので、
どうぞお楽しみに!!


それでは行ってみましょう!

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恵方巻きはいつから始まった?

恵方巻きの起源は、いろいろあります。


確証が持てないものが多いのですが、
やや信憑性のある起源としては、
大阪高裁が引用している、
以下のような記述があります。

甲16(昭和7年に大阪鮓商組合後援会が得意先向けに作成した「巻寿司と福の神」と題するビラ)に花柳界で行われていた風習が一般に広まった旨の記載があるほか,乙5の書物中の大阪府すし商環境衛生同業組合平成2年発行のビラに「江戸時代の末期若しくは明治の始め頃から大阪の中心地、船場が発祥地とされております。商売繁盛,無病息災,家内円満を願ったのが事の始りです。」と記載がある。その後,大阪を中心に「節分の日にその年の恵方に向いて無言で壱本の巻寿司を丸かぶりすれば其年は幸運に恵まれる」と言い伝えられ,遅くとも昭和7年ころには大阪の一部地域において,節分に恵方を向いて巻き寿司を丸かぶりする風習が行われるようになった。

弁護士河村哲三氏のブログ(覚書)より
控訴審判決:第3『恵方巻』控訴審判決と巻寿司丸かぶりの風習の由来(大阪高裁)

icon-point-b-r恵方巻きの起源

  • 「花柳界で行われていた風習が一般に広まった」

  • 「江戸末期から明治の始め、大阪の船場が発祥の地」


  • そのほかにも、マユツバのものも含めこんなのもありますよ。


  • 「船場にある階段の中段で
    女性が太巻き寿司を丸かじりして願い事をした」

  • 豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が
    たまたま節分の前日に海苔巻きのような物を食べて出陣し、
    戦いに大勝利を収めた」

  • 「1800年代のある年の節分の日に、
    大阪近郊の申村(現在の此花区伝法付近か)
    に住む老若男女が集まり、巻寿司を食す時に、
    切り分ける手間を省くために一本丸かぶりをした」


  • 「切り分ける手間を省いた!」
    のが真相なんじゃないか!?
    という黒々とした思いが私の胸をよぎります。



    ところで、
    「花柳界の風習」というのが
    気になるのは私ばかりではないはず… 笑


    恵方巻きの起源、花柳界の風習とは?



    これがどんな風習なのかと調べていると
    「巻きずしの丸かぶり」をテーマにした落語を見つけました。

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    上方落語「遊山船」七代目 笑福亭松鶴(1952-1996)
    (関連部分は16分30秒前後から始まります)






    屋形船の上で、
    舞妓さんが巻寿司を丸かじりする様に、
    興じる旦那衆の様子が、語られています。


    縁起を担ぐ花柳界で、
    「舞妓さんに将来良いスポンサーがつきますように」との願いもあったようです。


    1970年(昭和45年)発行篠田統『すしの本』の中で、
    こんな記述もありますよ。


    「節分と巻きずし」
    本日巻きずし有りという広告を見たが(中略)、おもに花街で行なわれ、
    新こうこうが漬かる時期なので、その香の物を芯に巻いたノリ巻を、
    切らずに全(まる)のまま、恵方のほうへ向いて食べる由。
    老浪華人の塩路吉兆老も今日まで知らなかったんだ。(中略)
    もちろん、私も初耳だ。普通の町家ではあまりやらないようだ。



    一般家庭ではあまり行われず、花街での風習だったと記載されています。



    この花柳界の縁起担ぎの風習に、
    ヒントを得て宣伝に利用したのが

    大阪鮓商組合後援会です。


    大阪鮓商組合後援会発行の宣伝チラシとは?



    001

    これは大阪歴史博物館に所蔵されている
    「幸運巻き寿司チラシ」です。


    大阪地裁の引用した昭和7年のものではありませんが、
    この昭和15年(1940年)版も、
    同じ大阪鮓商組合後援会が、発行したものです。


    お寿司の値段は、20銭(現在で500円前後)で、
    食べると幸運になると宣伝しています。


    この様子から、昭和の初期には、
    大阪の寿司業界で、
    節分にむけて巻き寿司のプロモーション
    があったことがわかりますね。

    でもこの風習が広まるまでには
    まだ少々時間がかかるんです。


    そしてこのころはまだ
    恵方巻きの名前も使われてなかったのでした…。

    1970年代以降「節分に巻きずし」の販促活動



    戦後この巻きずしを節分に食べる風習は廃れてしまいますが、
    土用の丑の日鰻を食べる習慣に対抗するものとして、
    再び販促活動が盛り上がります。


    主な販促活動


  • 昭和52年: 大阪海苔問屋協同組合が「幸運巻ずし
    と銘打って節分に巻き寿司を丸かぶり
    することを勧める宣伝活動を始めた

  • 昭和62年:関西厚焼工業組合が
    広範囲で宣伝活動を行うようになり、
    関西地方のみならず,岐阜,浜松,
    金沢,新潟等の各都市や九州地方
    にまで
    宣伝ビラを送付していた。

  • 大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った
    「巻き寿司のまるかぶり」の行事を
    マスコミが取り上げ,それを見た全国の食品メーカーが
    便乗し全国へ広まっていった。


  • 「恵方巻き」セブンイレブンが名付け親



    こうして盛り上がってきた風潮をさらに一気に全国展開させたのが
    コンビニのセブンイレブンでした。



    昭和64年(1989)広島県内のセブン-イレブン一部店舗で、
    丸かぶりする「巻寿司」が縁起の良い節分の風習として紹介されました。


    加盟店のオーナーが大阪出身で、
    「大阪では節分に巻きずしを丸かぶりして幸運を祈る風習がある」
    とエリアマネージャーに話したのがきっかけで
    このプロモーションがうまれました。


    「恵方巻き」の商品名で全国的に売られ始めたのもこれが始まりです。

    コンビニやスーパーで売られている「恵方巻き」の直接のルーツは
    セブンイレブンだったというわけです。

    その昔
    売れないウナギ屋さんのために
    「土用丑の日」を考案した平賀源内のように、
    このセブンイレブンの名前も後世に残っていくのでしょう。

    まとめ



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    どんどん移り変わっていく食生活の中で


    家族がそろって何か同じものを食べ、一年の幸せを祈る、


    これは素晴らしいことだと思います。
    調べて、とてもすっきりしました!


    関連記事もあわせてどうぞ。
    恵方巻きの巻き方のコツは?失敗しない5つのコツ!

    私も今年は、
    恵方巻き★UKバージョン
    フィッシュ&チップス入りを作りたいと思います!


    って、ごはんにあわんがな!



    お後がよろしいようで…。
    ちゃんちゃん!



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