英国住みフリーランス。日本との時差8時間。地球は回っている。

ブロンテ姉妹のふるさと-ハワース(HAWORTH)

ブロンテの里、ハワースに行ってきました。
ハワースの狭い坂道は、
日本の妻籠や馬込を思い出させてくれました。

イギリスには珍しく、
みやげ物を売る店が多く、
狭い通りに、小規模なお店が軒を並べています。

主に、飾り物や、本、絵はがきなどの、
どこにでもある典型的なみやげ物やが多かったのですが、
ブロンテの頃からある店でとても興味深い薬屋さんと、
スイートの店がありました。

順番にご紹介していきたいと思います。
church201
ブロンテ姉妹といえば、
シャーロットブロンテの「ジェイン・エア」や、
エミリーブロンテの「嵐が丘」などがすぐに思い浮かぶと思います。

これらの物語には、ムーア(Moor)がしばしば登場しますね。

この際限なく広がる、
荒涼としたムーアを背後にひかえた小さな村ハワース。
この村で、ブロンテ姉妹はその短い生涯を送ったのでした。

ブロンテ姉妹の父親はこのハワースの教会の牧師でした。
母親は若くしてなくなっています。

夫婦には、2人の娘が長女シャーロットの前にいましたが、
寄宿舎の衛生状態や栄養状態が悪く、
子供のころなくなります。

そして、
ブランウェル(長男)、シャーロット(長女)、
エミリー(次女)、アン(三女)の4人の子供たちをもうけました。

下の写真は、ブロンテ姉妹が育ち、
その生涯の大半をすごした家です。

室内の装飾品や、衣類、食器類から推測しても、
当時の貴族の家のものなどと比べると大変質素で、
知的レベルの大変高い一家ながら、
その暮らしは決して楽なものではなかったことがしのばれます。

ジェイン・エアそのままに、
シャーロットや、エミリー、アンは、
裕福な家庭の住み込みの家庭教師になったりして、
生活の糧を得ます。

Bronte2

厳しい自然がそうさせるのか、
ブロンテ家の人々はみな若死にで、
かなり長生きをした父親と、
シャーロットの40代前半を除くと、
30代、20代とみな短命です。

この墓地は、ブロンテ一家の家に隣接する教会のものです。
ここに実際に葬られているのではないらしく、
シャーロットとエミリーは、
この近所の埋葬地にそろって葬られているらしいです。

末娘のアンのお墓は、
ノースヨークシャーのスカボロ(スカボロフェアという歌はこの地を歌ったもの)
という港町の、海に面した高台に立つ教会にあります。

Bronte3

(碑文の言葉)
This was the site of the gate leading to the church used by the Bronte family,
and through which they were carried to their final resting place in the church.
(管理人訳)ここはブロンテ家が教会に通うときに使い、彼らが最終的に安息の地に運ばれた門のあった場所

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