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ピカソ!ゲルニカとは?美術館の場所は?

出典:http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-32700575


ピカソ「アルジェの女たち」 が、
ニューヨークのクリスティーズで、
絵画史上最高値の 179.3億ドルで落札されました!
正確には $179,365,000 (クリスティーズの手数料約12%を含む)


毎回、芸術作品が高額で落札されると、
話題になりますね。


ピカソはその常連ともいえる画家なのですが、
彼の作品の中でも、
最も有名なのは「ゲルニカ」でしょう。

そこで今回は、
絵画史上最高の落札価格を記念して、
ピカソと、その代表作ゲルニカ
そして、収蔵されている美術館について
探ってみたいと思います。


それでは行ってみましょう!

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ゲルニカのある美術館は?



ピカソのゲルニカほど、
歴史に翻弄された絵画はないかもしれません。
その経過は、後ほど詳しくご紹介しますが…。


その放浪の歴史のゆえに、

「ゲルニカは一体どこにあるの?」


という疑問を抱えている方も多いはず。


ここではまず、
ゲルニカの所在地を確認していきましょう。


ゲルニカが、現在収蔵されているのは、



スペイン、マドリッド
「国立ソフィア王妃芸術センター」



バルセロナのピカソ美術館でも、
マドリッドのプラド美術館でも、
パリのピカソ美術館でも、
マラガのピカソ美術館でもありません。


すべて、ピカソゆかりの地ですが、
ゲルニカは国立ソフィア王妃芸術センターにありますよ。

ピカソという画家

ピカソは、1881年10月25日、
スペイン南部のマラガで生まれます。

malaga2 










マラガのお祭り



父親は、絵画教師でしたが、
鳴かず飛ばずの状態で、
家計は非常に苦しかったそうです。


それでも、
ピカソの才能を、
幼いころに見出したのは父親です。


また、ピカソが絵を描くための、
素材や場所に苦労せずにすんだのも、
この家庭環境のおかげです。


ピカソは15歳で、
すでに自分のアトリエを持っていたそうです。


これを思うと、
全てがこの世紀の天才を世に出すための、
見事なお膳立てのように思えてきませんか?

ちなみに「ピカソ」の名前は、
父方の「ルイス」ではなく、
その母親の姓を受け継いだものなんですよ。


彼によると、
「ピカソ」の方が変わってていいと思ったのだそうです。
母親は、父親と比べて、
非常にエネルギッシュで、
よりパブロ・ピカソに近い資質を、
備えていたとのことです。

マラガからマドリッド、
そしてバルセロナへとうつり、
1900年に初めてパリを訪問


その後1904年にモンマルトルに居を定めてから、
91歳で世を去るまで、
その才能を思うさま開花させたパリ、
そしてフランスを離れることはありませんでした。


ディエゴ・ベラスケス、
トゥールーズ=ロートレック、
フィンセント・ファン・ゴッホ、
エル・グレコ、
ポール・セザンヌ、
アンリ・ルソー


など印象派の画家から影響を受け、
その作風は時代によってガラッと変わるのが特徴です。

ピカソの作風の変遷

ピカソの作風はそれぞれ「~の時代」のように、
呼ばれています。


ピカソの女性遍歴は、
その作品同様、
並のものではありませんでした。


新しい恋人=新しい作風
と言われ、女性達は、
ピカソの作風に大きく影響を与えていたようです。

  • 青の時代(1901年~1904年)
  • 暗い青色を基調とする。軽業師、売春婦、乞食、盲人、裸婦、芸術家などを描いた。

  • ばら色の時代(1904年~1907年)
  • 明るい色調でサーカスの芸人、家族、兄弟、少女、少年などを描いた。

  • アフリカ彫刻の時代(1907年~1908年)
  • キュビスムの端緒となる『アビニヨンの娘たち』が生まれた。

  • セザンヌ的キュビスムの時代(1909年)
  • セザンヌ的な風景画

  • 分析的キュビスムの時代(1909年~1912年)
  • モチーフを徹底的に分解。より抽象的な作風。

  • 総合的キュビスムの時代(1912年~1918年)
  • ロココ的キュビスム。コラージュなどの技法を使った装飾的なもの。

  • 新古典主義の時代(1918年~1925年)
  • 古典的で量感のある母子像を描いた。

  • シュルレアリスム(超現実主義)の時代(1925年~1936年)
  • 『ダンス』『磔刑』など。

  • ゲルニカの時代(1937年)
  • コンドル軍団のゲルニカ爆撃を非難した大作『ゲルニカ』とそのための習作(『泣く女』など)。

  • 晩年の時代(1968年~1973年)
  • 油彩・水彩・クレヨンなど多様な画材でカラフルかつ激しい絵を描いた。


    ゲルニカの時代背景

    では、
    ゲルニカの描かれた時代背景について、
    詳しくみていきましょうね。



    1936年7月にスペインではスペイン内戦が勃発。
    マヌエル・アサーニャ率いる共和国軍
    フランシスコ・フランコを中心とした反乱軍が争いました。


    スペインを離れてパリに在住していたピカソは、
    共和国政府を支持。
    自分の作品を販売して、
    共和国軍の資金援助をしました。


    1937年1月、
    共和国政府は、
    フランスのスペイン大使館を経由して、
    ピカソにパリ万国博覧会のスペイン館を飾る、
    壁画の製作を依頼しました。


    始めは、スペイン内戦とは関係のない、
    シュルレアリスム風の壁画を、
    制作する予定だったと言われています。


    しかし、1937年4月26日に、
    ビスカヤ県のゲルニカが、
    フランコ反乱軍側の
    ナチスドイツ軍によって、
    都市無差別爆撃(ゲルニカ爆撃)を受けます。


    この攻撃を知ったピカソは、
    ゲルニカ爆撃を、
    パリ万博で展示する壁画の主題に選びました。

    guernica「スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する。」(「ゲルニカ」制作時のピカソの声明)


    モノクロで描かれたこの絵画の評判は、
    はじめはあまりよくなかったようです。


    しかし次第に、
    反戦、平和への強いメッセージ性を持つ絵画
    ピカソの代表作としての地位を得ていきます。

    彷徨えるゲルニカ



    フランコ反乱軍の勝利に終わったスペインに、
    ピカソは二度と帰りませんでした。


    マラガの、
    ピカソの生家の前にある公園のベンチには、
    裸足でスリッパばきの、
    等身大のピカソの銅像が、
    海岸の方角を見ながら座っています。
    それを見るたび心が痛みます。


    DSCN0527








    公園のベンチに座るピカソの像
    (マラガ市民は彼に帰ってきてほしかったのでしょうね)


    DSCN0507








    きれいで魚がいっぱいのマラガの海岸



    ゲルニカは、共和政府支援のための、
    展覧会を企画したアメリカに移されます。


    しかし1939年第二次世界大戦が勃発、
    ピカソは、絵画を戦争のさなかのヨーロッパに戻すことを躊躇し、
    そのままニューヨーク近代美術館に保管されることになります。


    その後フランコ政権から、
    ニューヨーク近代美術館に
    絵画の返還を何度も要請されますが、
    ピカソ自身が応じませんでした。
    そして、フランコ独裁から、
    スペインの解放が実現した時点で、
    スペイン政府に返還することを希望しました。


    1975年、フランコの死後、
    マドリッド、マラガ、ゲルニカ、バルセロナの間で、
    絵画の白熱した取り合いがあったようですが、
    1981年、めでたく、
    マドリッドの国立プラド美術館に帰ってきます。

    その後、1992年9月、マドリッド市内に、
    国立ソフィア王妃芸術センターが開館すると、
    ゲルニカは、コレクションの目玉として、
    プラド美術館から移されます。

    出来立ての美術館で、
    始めは凡庸と言われていたコレクションも、
    今では、(ゲルニカのパワーのおかげ?)
    スペインで最も観客動員数の多い美術館となっています。

    終わりに



    政治色を芸術作品に含めることの賛否は、
    ひとまず置いておくとして。


    このゲルニカという作品は、
    人間の戦いの歴史と強くかみ合って、
    その運命をともにしてきた作品だなあと感じます。


    私は個人的には
    色のきれいな、
    ばらの時代の「Boy with a pipe

    より抽象度の高い
    The Studio」、

    晩年のシンプルで力強い作品が大好きです。



    晩年のピカソは、


    「この歳になってやっと子供らしい絵が描けるようになった」


    と言っていたそうです。


    マラガのピカソ美術館↓で、
    DSCN0522








    晩年のピカソが、
    絵を書いている動画を見ました。

    短パンスリッパばきのピカソは、
    まさに子供のように天衣無縫
    一分とかけずに、
    自由自在に、
    そして楽しそうにハトや花を描いていました。


    なんとなくジョンレノンを思い出すのは
    私だけでしょうか。。。


    こんな逸話があります。


    ピカソの個展で、
    ある女性がピカソにこう言ったそうです。


    女性:
    私の子供もあなたと同じような絵を描けますよ

    ピカソ:
    私があなたの子供と同じ年には、
    ベラスケスの絵を模写していました
    。」







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